貞観地震(じょうがんじしん)とは、平安時代の869年に東北地方で起きたとされる巨大地震のことです。歴史書『日本三代実録』にも記録が残り、近年の研究ではマグニチュード8クラスの“非常に大きな地震だった”と推定されています。また、この地震では津波による被害が特に大きかったという記述が文献にも見られます。
「過去を知り、今に活かす」ことで、私たちは今後来るかもしれない災害に備えることができます。
今回は貞観地震について一緒に紐解いていきましょう。
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\ 貞観津波についても解説がある災害史本 /
貞観地震についての基本情報
まず、貞観地震はどんな災害だったかをイメージしやすいように、当時の記録や描写をもとにAIを使って再現しました。
実際に貞観地震が発生した瞬間は夜だったという記録が残っているため、実際は夜の災害となります。
また、奥に映るのは多賀城を想定していますが、当時の多賀城をAIで再現するのは難しく、あくまでもイメージとなります。

※当時の状況を読み解くための参考イメージとしてAIで制作しています。史料に残る内容をもとに生成したものですが、実際の光景を正確に再現したものではありません。
災害基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 貞観地震(じょうがんじしん) |
| 発生年(西暦) | 869年 |
| 発生年(和暦) | 貞観11年 |
| 発生日時 | 7月13日(夜) |
| 被害概要 | 家屋倒壊、住民流失、多数の死者。東北沿岸で大規模被害 |
| 主な記録史料 | 『日本三代実録』ほか、地層の津波堆積物調査 |
地震基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 震源域 | 三陸沖〜福島沖の日本海溝沿い |
| 地震の種類 | プレート境界型巨大地震(海溝型) |
| 推定マグニチュード | M8.3〜8.6規模(研究による推定値) |
時代背景
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 858年(災害の約10年前) | 清和天皇が即位。藤原良房が実質的な政治の実権を握り始める。 |
| 866年(3年前) | 応天門の変。政治構造・人間関係が大きく揺れる。 |
| 869年(当年) | 貞観地震が発生。国家規模での混乱の中、東北沿岸に甚大な被害。 |
| 872年(3年後) | 現在の京都・大阪・奈良でインフルエンザのような風邪が大流行(※1)し、多数の死者。社会不安が続く。 |
| 887年(18年後) | 仁和地震(内陸大地震)が発生。京都含む畿内で大被害。国内の災害意識が高まる転機に。 |
貞観地震とは?歴史に残る巨大地震の概要
貞観地震とはどのような地震だったのか、詳細を見ていきましょう。
貞観地震が起きた年代と当時の記録
貞観地震が発生したのは西暦869年。今から10世紀以上も前のことです。
日本三大実録には「夜に陸奥で大地震があり、多賀城付近では家屋が倒壊して圧死し、地割れで生き埋めになったりした。城下では大津波が川を遡上して押し寄せて、1000人ほどが溺死した」という文章が残されており、津波による被害が広範囲に及んだ様子がうかがえます。

(貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顚覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝洄漲長。忽至城下。去海數十百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣爲滄溟。乘船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。
(中略)
現代語訳(貞観11年5月)26日癸未(みずのとひつじ)の日。陸奥国(むつのくに)に大地震があった。夜であるにもかかわらず、空中を閃光が流れ、暗闇はまるで昼のように明るくなったりした。しばらくの間、人々は恐怖のあまり叫び声を発し、地面に伏したまま起き上がることもできなかった。ある者は、家屋が倒壊して圧死し、ある者は、大地が裂けて生き埋めになった。馬や牛は驚いて走り回り、互いを踏みつけ合ったりした。多賀城の城郭、倉庫、門、櫓、垣や壁などは崩れ落ちたり覆(くつがえ)ったりしたが、その数は数え切れないほどであった。河口の海は、雷のような音を立てて吠え狂った。荒れ狂い湧き返る大波は、河を遡(さかのぼ)り膨張して、忽ち城下に達した。海は、数十里乃至(ないし)百里にわたって広々と広がり、どこが地面と海との境だったのか分からない有様であった。原や野や道路は、すべて蒼々とした海に覆われてしまった。船に乗って逃げる暇(いとま)もなく、山に登って避難することもできなかった。溺死する者も千人ほどいた。人々は資産も稲の苗も失い、ほとんど何一つ残るものがなかった。
当時の都は京都でしたので、東北地方の災害がここまで詳しく記録されているのは珍しいことです。それだけ、大惨事だったことがわかりますね。
前後の歴史も知りたいという方は『今こそ知っておきたい「災害の日本史」』という文庫本がおすすめです。
少しカタい本ではありますが、日本の災害史について網羅的に詳しく説明している一冊です。
貞観地震の詳細
貞観地震は、2000年代に行われたボーリング調査や津波堆積物の分析から マグニチュード8クラス と推定されています。地層の津波堆積物や地形データを使って、当時の地震で海底がどのように動いたかを再現した「推定断層モデル」がつくられています。このモデルによる津波シミュレーションでは、高さ9m前後の大きな津波が7〜8分間隔で繰り返し押し寄せた可能性が示されています。
この震源は三陸沖から福島沖にかけての日本海溝沿いで起きたとされています。ここは太平洋プレートが日本列島の下に沈み込む場所で、巨大地震が繰り返し起きる地域です。プレート同士がぶつかり合う境界では、普段少しずつ力が蓄積していきます。この力が限界を超えたとき、一気に解放されることで大きな地震が発生します。
貞観地震も、そうしたプレート境界型の巨大地震だったと考えられています。
地層の調査から、津波は内陸4キロ付近まで到達した可能性があり、東日本大震災の浸水地域の分布とも重なる部分があります。
地震の専門的なメカニズム覚える必要はありませんが、この地域が地理的に「大きな地震が起きやすく、過去に大災害をもたらした場所」であることは必ず覚えておきたいですね。
コラム:流光如晝隱映(空中を閃光が流れ)とは?
余談ですが、「空中を閃光が流れ」とい描写が気になったので、調べてみました。
この閃光とは、地震光(EQL…Earthquake luminescence)と呼ばれる現象と考えられています
最近だと2017年にメキシコで発生した「メキシコ地震(チアパス地震)」では、夜中の地震の発生とともに閃光が走った記録が残されています。
Así el cielo durante el #Sismo pic.twitter.com/zlcPA7YSDM
— L4L0 (@lalocedeno) September 8, 2017
マグニチュード5以上の地震で発生する可能性があるとされている一方、今も地震光には科学的根拠がないという主張もあり、今後の研究が期待されます。
参考
※1…Population Spread Brought Influenza Along with It(nipppon.com)
※2…西暦 869 年貞観津波の復元と東北地方太平洋沖地震の教訓(PDF)

